その他
更新日:2026.05.13
新たなバイオプリンティング技術
によって、創薬実験に貢献する
精密リキッドハンドリングシステム「X-CELList」
その他
更新日:2026.05.13
精密リキッドハンドリングシステム「X-CELList」
NTNは、主力のベアリング(軸受)やドライブシャフト以外に、新しい領域の研究開発にも長く取り組み、事業化を進めている。その一つがライフサイエンス分野であり、2025年には、創薬実験の効率化や信頼性向上に貢献する新しい技術を発表した。それが精密リキッドハンドリングシステム「X-CELList」を用いた
「生きた細胞を実験用プレートに高速かつ高精度で配置する技術」である。今回は、iPS心筋細胞(iPS細胞由来心筋細胞)を利用して、大学との共同研究としてこの技術の開発が進められた。NTNでは1990年代に、液晶ディスプレイの欠陥箇所を修正・加工するために微細領域にインクを塗布する技術を開発し、2010年に「微細塗布装置」として命名した。その後、2026年に精密リキッドハンドリングシステム「X-CELList(エクセリスト)」に名称変更し、その技術を創薬実験で活用する道を開いた。生きた細胞から臓器などを作るいわゆる「バイオプリンティング」の新しい形とも言えるこの技術は、どのように実現に至ったのか。そしてこの先どんな発展が見込まれるのか。この技術開発の中核を担った2人に聞いた。

未来創造開発本部
要素技術開発部
塚本 佳也

未来創造開発本部
要素技術開発部
森吉 眞理子
NTNと言えば、自動車の軸受やドライブシャフトを連想する人が多いはずだ。しかし、環境への貢献を念頭においた再エネ関連や水素関連の分野など、さまざま新しい分野の開拓も進めている。中でも特に新たな挑戦と言えるのがライフサイエンス分野であり、この分野で近年、新しい技術を開発した。それが、「X-CELList」を用いた「生きた細胞を実験用プレートに高速かつ高精度で配置する技術」である。この技術は、生きた細胞から3Dプリンターで臓器などを作るいわゆる「バイオプリンティング」の新たな形とも言え、創薬実験の効率化や信頼性向上に寄与することが期待される。その概要について、開発担当者の一人である未来創造開発本部 要素技術開発部の塚本佳也はこう話す。
「薬の開発においては、その効果や安全性を確かめるために、候補となる物質に対して条件をさまざまに変えた実験が行われます。その際に用いられるのが、マルチウェルプレートと呼ばれる、多数の小さな穴(ウェル)が並ぶ容器です。ウェルの数は96個や384個といったものが一般的で、その一つひとつに同じ種類の細胞を入れ、さらにウェルごとに種類や濃度の異なる薬剤を入れて反応を見るという、多数の実験をまとめて行います。ただこの際、精密なスポイトのようなものでウェル一つひとつに微量の細胞を手動で入れていくのは、とても労力がかかる上に精度を高めるのも困難です。その問題の解決に当社の『X-CELList』が活用できるのではないかと、大阪大学大学院生命機能研究科*との共同研究が始まりました」
*その後、大阪大学大学院 工学研究科 NTN次世代協働研究所へと引き継がれた。
「X-CELList」に使われている技術の起こりは1990年代~2000年代に遡る。当時、世界的に薄型テレビの需要拡大が進む中、NTNは、液晶ディスプレイの欠陥箇所にカラーインクを塗布して修復する「液晶リペア装置」を開発し、広く世界に販売した。その際に確立した、高精度な塗布技術を活かし、その後2010年代に「卓上型微細塗布装置」を開発。2026年には「Excellent Liquid Stamp Technology(卓越した液体塗布技術)」を基に、ライフサイエンス分野への適用を象徴する「Cell(細胞)」と、未知の可能性を連想させる「X」を組み合わせた「X-CELList」に改名した。当初は、半導体分野を中心とする用途で使用されていたが、この装置にさらに改良が加えられていく中で検討が始まったのが、ライフサイエンス分野での活用だった。
この分野での初めての採用事例が大阪大学であり、浜松医科大学との共同研究が続けて採用された。同大学では、電子顕微鏡を用いた高感度抗原検査キットの開発を進めていて、電子顕微鏡のとても狭い観察視野内の特定領域に、高い精度で抗体を塗布することが必要となっていた。そこで「X-CELList」が使われることになったのだ。そしてその研究開発が進行する一方でもう一つ動き出したのが、先の塚本の話にあった大阪大学大学院生命機能研究科との共同研究*である。「X-CELList」を用いてiPS心筋細胞をマルチウェルプレートに高速・高精度で配置する技術の開発だ。

精密リキッドハンドリングシステム
「X-CELList(エクセリスト)」
針の先端に付着させた数pL(ピコリットル:1兆分の1リットル)の液剤を1回あたり0.1秒と高速に、かつ±15µm(マイクロメートル:1,000分の1mm)以下の繰り返し位置決め精度で高精度に塗布する装置。液剤塗布対象に接触させる独自の手法により、高粘度な液剤であっても目詰まりなく高速に塗布することが可能。
ではここで改めて「X-CELList」について説明する。この装置は、針の先端に付着させた超微量(数pL)の液剤を、1回あたり0.1秒という高速、かつ±15µm以下の精度で、定位置に適量塗布することを可能にするものである。

塗布針を塗布対象に直接接触させる独自の手法
塗布のメカニズムを上図に示す。まずは塗布する液剤が入っている容器に塗布針を入れ、針の先端に液剤を付着させる。そのまま針を、容器を貫通する形で下降させ、塗布対象へと液剤を塗布する。この際針は、軽い力で、かつ塗布対象に接触せずとも塗布できるため、高精度な塗布が可能になるのだ。
ちなみにこのような印刷の方法としては、他にはディスペンサー方式とインクジェット方式がある。各々メリット・デメリットがあるが、この両者は、ノズルの先端から塗布剤を吐き出して印刷するという点で共通している(先の塚本の話にあった、精密なスポイトのようなもの を使って手動で、というのもディスペンサー方式に含まれる)。それが、針の先端に塗布剤を付着させる塗布針方式との一番の違いであり、この点において、細胞の塗布に「X-CELList」を利用する大きなメリットがある。というのは、粘度の高い液剤の場合、ディスペンサー方式でもインクジェット方式でも先端で目詰まりを起こす可能性があるからだ。その一方、針に付着させる塗布針方式では、原理的に目詰まりは起きえないのだ。では以下、塗布針方式で細胞を塗布するという新たな技術がどう開発されていったのかを見ていこう。

「X-CELList」はこれまで主に、機械系の分野で接着剤や導電性ペーストを塗布する用途で使われてきた。しかし今回塗布するのは、iPS心筋細胞という生きた細胞である。細胞を生きた状態のまま、高速・高精度でプレートの穴に入れていくことが求められるため、装置にさらに改良を加える必要があった。もう一人の開発担当者である森吉眞理子が言う。
「細胞は乾燥するとすぐに死んでしまうため、常に何らかの液体に入っている必要があります。そこで、塗布の手順としては、まずは細胞をゲル状の溶液に混ぜ、その状態で液剤容器の中に入れます。それを塗布針に付着させ、下降する塗布針によってマルチウェルプレート(多数の小さな穴(ウェル)が並んだ実験用のプレート)に塗布します。塗布後にはすぐ、細胞に被せるように保護液剤を滴下し、さらにそれを培養液を滴下します。これが細胞を塗布する工程になりますが、ここで何よりも重要なのは、塗布した後に細胞が生きていて、かつ実験ができる状態を保っていることです」
細胞を塗布する手順
細胞を塗布する手順
塗布された後の、細胞とゲル材料の混合物の中には、だいたい1~数万ほどの細胞が含まれている。しかし細胞はわずかな乾燥や衝撃によって死んでしまう。できるだけ多くの細胞が生き残るようにするためには、細胞を取り巻く環境を整え、さらには塗布する際の衝撃をできるだけ小さくすることなどが必要になる。細胞の乾燥を防ぐために特に重要となるのは、ゲルや保護液剤として適した溶液を選ぶことだ。また細胞が受ける衝撃を小さくするには、細胞塗布の際や保護液剤滴下の際の操作に工夫が必要になる。森吉が続ける。
「乾燥を防ぐための最適なゲルや保護液剤を見つけるべく、さまざまな溶液で実験を繰り返しました。多数ある選択肢を地道に一つひとつ試していき、できる限りいい按配の液剤にすべく調整を重ねました。この工程が私にとっては最も労力を必要としたところかもしれません。また、保護液剤の滴下には、塗布針ではなくディスペンサーを用いるのですが、衝撃を抑えるために滴下を最適条件で行うことが必要です。その一方、ゆっくりすぎると細胞が乾燥してしまいます。ちょうどいい按配の滴下方法を見つけることも私の重要な仕事でした」


一方、細胞を塗布する際の操作自体にも工夫が必要となる。その点については塚本がこう話す。
「細胞を塗布する際、塗布針は上下方向に行ったり来たりします。この時、細胞はさまざまな要素の影響を受けるため、ゲル前駆体の粘性や針の動作などの最適なバランスを見極める必要があります。例えば、針の動作の速度を早くしすぎると、精度の低下や細胞へのダメージを与えるため、適切な動作条件を探索します。そこをどうするか難しいところでした」
操作においても極めて微妙な調整が必要なのだ。
上記のような調整や工夫の積み重ねで、少しずつ細胞を生きたままうまく塗布できるようになっていった。細胞の生存率は上がっていき、最終的には90%以上、つまり、ウェル一つの中にある1万~2万のiPS心筋細胞のうち9割以上は生き残らせることができるようになった(下写真の黒くて丸い塊一つがウェル一つに対応)。そしてもう一つ重要なのは、マルチウェルプレートの96個のウェルすべてで正しく塗布が行われるようにすることだ。そこがおそらくこの開発における最大の山場だったと、塚本は振り返る。

各ウェルで9割以上の細胞を生存
「創薬実験を効率よく行えるようにするためには、96個のウェルすべてで正しく塗布することが求められます。しかし、塗布後に細胞の形が崩れたり、保護液剤をうまく被せることができなかったり、ということがどうしても生じてしまいました。そうした問題をなくすためには、例えば、ウェル底面の高さを計測、補正する計算工程を入れることで、塗布針先端とウェル底面の距離を常に一定に制御させたり、ディスペンサーで滴下する保護液剤が目詰まりを起こさないようにするなど、複数の工夫が必要でした。またそもそも『X-CELList』は、真っ平らな平面の上に塗布する仕様になっていたため、10ミリほどの深さを持ったウェルの一番底に細胞を塗布することの難しさもありました。その点も工夫や調整が必要でした。しかしなんとかそういった難しさも、森吉さんや、他の仲間たちとも相談しながら乗り越えることができました」
改良によって実現した新しい機能や操作は、それぞれモジュール化したり調整を加えたりするなどして従来の装置に付加した。その結果、高速・高精度で細胞の塗布ができる装置が完成した。高精度で適量の塗布ができるようになったため、使用する細胞も節約でき、コスト削減にもつながる装置となったのだ。
こうして完成した新しい装置は、近々商品として販売予定だ。現在、設計担当者によってコンパクト化やブラッシュアップが行われている。例えば、細胞を扱う環境をよりクリーンにするために塗布針を使い捨てにできる機能を加えたり、装置の形状を工夫したりといった具合だ。その完成ももう間近だという。
商品化されてもそれで終わりではない。いまも塚本と森吉は、装置のさらなるバージョンアップのために研究を続けている。一方、冒頭で触れた浜松医科大学との共同研究も引き続き進んでいる。こちらの研究は、高感度抗原検査キットの開発過程で「X-CELList」を利用するというもので、細胞塗布の場合とは用途や取り組むべき問題が異なっている。担当しているのも別のメンバーだ。「X-CELList」の活用でこれまでにない高感度の抗原検査キットが作ることが可能になるが、いまはキットの制作過程をいかに高速化できるかという点で、さまざまな検討・工夫を進めているところだという。
両研究ともに、決して簡単ではないものの、今後社会に与えるインパクトは小さくない。NTNのライフサイエンス分野での今後の事業の広がりが楽しみだ。
塚本は元々、大阪大学大学院生命機能研究科とNTNとの共同研究に、大阪大学側の研究者として参加していた。だが、学位取得後にNTNに入社してNTN側で研究に携わるようになった。立場が変わり、研究者として求められることも変化したが、それがいま塚本にとっては大きなやりがいとなっているようである。
「大学では、ある意味細胞だけに意識を集中して研究することができましたが、いまは、細胞自体に加えて塗布装置という機械をどうやってよりよくするかという視点も持つようになりました。その分やることが増えて、考えることも複雑になったように感じます。また大学では、今までにない新しいものを生み出すことが価値だった一方で、企業ではお客さまの困りごとをどれだけ解決できるかが重要です。そのためには装置をどう仕上げればいいか、どのような機能を実装していけばお客さまに喜ばれるか。多様な観点から日々たくさん新しいことを学べています。大変ですが、とても楽しく研究を進めることができています」
一方の森吉は、学生時代には材料工学を学び、当時の専門は化学分野だ。NTNに入社して、まさかライフサイエンス分野の研究に携わるとは思ってもみなかったという。当初は社内でも、自身が取り組んでいる研究について詳しく知らない人が多かった。しかし、「X-CELList」の仕事が形となって、学会でも成果を発表できるようになると、だんだんと周囲からも認知されるようになったという。
「最近ようやく、NTNとライフサイエンスという言葉が結びつくようになってきたと感じます。そうなる一端を担えたと思うと、とてもやりがいを感じます。今はまだ少人数でやっていますが、これから徐々に事業が拡大され、NTNがライフサイエンスの会社としても認知してもらえるようになるように、ますますがんばっていきたいです」
NTNのライフサイエンス分野への挑戦はまだ始まったばかりである。塚本、森吉、そしてその仲間たちは、さらなる未来を見つめている。
※取材内容、および登場する社員の所属はインタビュー当時のものです。