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創業から半世紀のNTN歴史物語

あまり知られていない創業当初から世界に躍進するまでの約50年間

創業そして、会社設立へ

ベアリング輸入時代

日本にベアリングが初めて紹介されたのは、1910年頃と言われています。これは、スウェーデンメーカ製のもので大変高価なものでした。当時、日本には輸入ベアリングしかなく、一般用のベアリングとしては、スウェーデンメーカ製が最もよく知られていましたが、1916年頃には、アメリカメーカ製のテーパーローラベアリングなどが、自動車の補修部品として使われていました。

西園鉄工所と巴商会

NTNの歴史は、1918年に当時21歳の若き技術者西園二郎氏が三重県桑名で西園鉄工所を立ち上げたことから始まります。西園氏は地元の鉄工所で2年ほど腕を磨いたうえで独立し、金属加工を行っていました。
一方、後に初代社長となる丹羽昇氏は、22歳で起業し、大阪で巴商会という機械工具商を経営していました。新たに精米機の製造販売を手がけるにあたり、西園鉄工所に生産を依頼したことから二人の関係は始まります。

ベアリングの研究開発を始め、NTNの創業者となった
西園二郎氏
写真: 西園二郎氏
写真: 丹羽 昇氏
ベアリング製造を企業化し、NTNの初代社長となった
丹羽 昇氏

ベアリングの国産化へ

1922年のある日、事故のため日本で沈没したスウェーデン船の積荷が損害保険会社の手で処分されることになりました。そこで、丹羽氏は積荷だったベアリングを全量落札。西園鉄工所に依頼して再生し、販売したところ、予想以上の利益を得ました。ベアリング国産化への意欲に燃える丹羽氏は、その利益で研磨機3台を購入し、西園鉄工所に持ち込んでベアリング研究開発を強力に要請。当時、輸入品に限られていたボールベアリングの国産化に向けて西園氏が研究試作に着手し、本格的なベアリング製造がスタートしました。

写真: ベアリング
国産化に成功した当時のベアリング

NTNベアリングの誕生

1923年、巴商会はボールベアリング部を新設し、「NTN」の商標を用いて国産ベアリングの販売を開始しました。「NTN」とは、丹羽氏のN、巴商会のT、西園氏のNの頭文字を取ったもので、For New Technology Networkの意味になった現在に至るまで、生産品には必ずNTNマークが付けられています。
1927年には、ベアリング専門の製造販売会社として大阪市に「合資会社エヌチーエヌ製作所」を設立しました。NTN株式会社が法人として発足したのは、この時です。

集合写真: エヌチーエヌ製作所工場前
エヌチーエヌ製作所工場前にて
後列中央・丹羽氏、左から3人目・西園氏

航空機をはじめ、日本の産業近代化に貢献

足場を築く販売活動

会社設立から3年後の1930年、NTNのベアリングは商工省から選定優良国産品として推奨されるとともに、製作所は鉄道省指定工場となり国鉄から大口案件を受注します。
民間向けでは、大手の自動車部品販売会社への売り込みに成功し、自動車業界への足がかりを築きました。当時の自動車メーカが採用していた他社製ベアリングをNTN品に切替受注したのも特筆すべき快挙でした。
産業機械向けには、ベルト伝導のシャフト用ベアリングの大量売り込みによってNTNの知名度を高めるとともに、大手家電メーカから工場の指定メーカとして選定されるなど、着々と成果をあげていきました。

写真: 1934年頃の桑名工場(旧西園鉄工所)
1934年頃の桑名工場(旧西園鉄工所)

航空機用ベアリングの開発

次第に、日本では航空機の製作に重点が置かれ、航空機のエンジン用の超高速ベアリングの開発が国内ベアリング業界における重大な課題となりました。当時の日本の技術水準では国産化は到底困難とまで言われ、どのメーカが最初に成功するか注目される中、1934年にNTNが初めて開発に成功。航空機の純国産化を可能とする基礎の一つが築かれたのです。

純国産飛行機で優位性を立証

その3年後、日本初の純国産飛行機(神風号)が東京-ロンドン間を94時間17分56秒で結び、画期的な世界記録を打ち立てました。神風号の発動機ならびに機体すべてにNTN品が採用されており、NTNベアリングの優位性を立証するとともに、航空機用ベアリングにおいて、技術力の基盤と伝統を築くことになりました。

「東洋ベアリング製造株式会社」へ

1934年、従来の合資会社を資本金300万円の株式会社に変更。事業の拡大に伴い、さらなる生産増強、工場拡張が必要となりました。資金を調達するため、大幅増資の時期、方法など検討した結果、まず会社を広く世間に認識させるため、適当な社名に変更する必要があるという結論に達し、1937年、「エヌチーエヌ製作所」を「東洋ベアリング製造株式会社」に改名。同年、3倍強の増資を実施して資本金を1,000万円に増資すると同時に、株式を公開しました。当時は、ベアリングに対する一般世間の認識は極めて薄く、事業内容の説明には、かなり苦労したと言われています。

集合写真: 1937年、当時の本社ビル前にて(大阪市北区堂島)
1937年、当時の本社ビル前にて(大阪市北区堂島)

日本のベアリングメーカとして初めて海外へ進出、事業を拡大

業界初の海外進出

株式公開により大幅増資したことが契機となり、事業は大きく飛躍します。1938年3月には、「満州ベアリング製造株式会社」を設立し、現在の中国大連州瓦房店に工場を建設。日本のベアリングメーカとして初の海外進出を果たしました。終戦により会社解散となりましたが、当時、世界を席巻していたスウェーデンメーカの東洋における足場の一つを阻止したという点で、歴史的な価値が大きく評価されました。
なお、この工場は、現在の「瓦房店軸承集団有限責任公司」のルーツとなっています。

満州ベアリング製造株式会社
満州ベアリング製造株式会社

国内には新会社を設立

国内需要の増加に伴い、特に自動車用ベアリングの増産の必要性に迫られ、兵庫県宝塚市に新工場が建設されました。事業拡張における収益面のリスクを東洋ベアリング株式会社の株主に負わせないという配慮から、新工場は妥当な利益があがるまで別会社とすることになり、1938年6月、「昭和ベアリング製造株式会社」が設立されました。

写真: 兵庫県武庫郡良元村(現 宝塚市)に新工場を建設
兵庫県武庫郡良元村(現 宝塚市)に新工場を建設

武庫川工場の誕生

「昭和ベアリング製造株式会社」は、創業早々、膨大な受注を獲得したことから、一年足らずで安定した収益の見通しがつき、1939年12月に「東洋ベアリング製造株式会社」の武庫川工場(のちの宝塚製作所)となりました。
なお、宝塚製作所は、生産再編の一環として2009年3月末で生産終了し、閉鎖されました。

写真: 建設当時の武庫川工場
建設当時の武庫川工場

桑名工場の引越し

桑名工場では、1938年に火災が起こり主要設備を焼失しました。これを機に桑名市郊外へ移転を決意。1939年11月、敷地面積約10万㎡の新工場が完成し、航空機用ベアリングなどの生産を開始しました。これが現在の桑名製作所です。

写真: 桑名市郊外に完成した桑名工場
桑名市郊外に完成した桑名工場

駒野工場の操業開始

1944年には、岐阜県海津郡駒野(現 海津市南濃町駒野)にあった敷地約10万㎡の紡績会社の工場を買収、改修工事を行い、航空機用ベアリングを生産する駒野工場として操業を開始しました。なお、戦後は他の紡績会社に譲渡されています。
このように、積極的に需要増大に応え、国内外の生産体制を強化していきました。

国内産業をリードするも戦時中、攻撃の標的に

トップメーカとして大活躍

1934年以降NTNは、最も高い性能が要求される航空機用ベアリングで国内のベアリング業界をリードしてきました。日本の航空機産業は、多いときで月産4,000機に達するほどの大規模であり、NTNは最盛期に70%という高いシェアで、精度の高いベアリングを供給していました。

棒グラフ: 1937年〜1945年の日本国内主要3社(東洋ベアリング[現NTN], N社, J社)の生産実績
出典:日本ベアリング協会「わが国の軸受工業」より作成

精密ベアリング、超大形ベアリングを初めて国産化

1942年には、それまで輸入品に頼っていた工作機械用の精密ベアリングを日本で初めて国産化し、桑名工場内に専用工場を建設。さらに同年、日本で最初の鋼板圧延機用の超大形ベアリング(外径1.15m)を完成させてからは、製鉄や火力発電、建設機械、その他産業機械用超大形ベアリングの生産実績は国内で常に最優位を占めていました。
その後、外径3.5mの製品を手がけるまでになり、NTNが超大形ベアリングに強みを持つようになったルーツはここにあると言えます。

写真: 国産第1号の超大形ベアリング(外径1.15m)
国産第1号の超大形ベアリング(外径1.15m)

品質および生産技術の研究も進化

1930年代後半から戦時中にかけては、生産設備の大幅拡充とともに、品質向上、工程合理化などの研究も大いに進みました。桑名の中央技術研究所で行われた研究内容は、グリース性能やベアリング鋼の製鋼技術の向上にまでおよびました。また、生産方式の研究は、その後、独自の工作機械、自動組立機、測定機などの完成につながっており、生産技術の革新に多大な貢献をしています。

写真: 当時の旋削
当時の旋削
写真: 当時の焼入
当時の焼入

桑名工場の被爆

1945年に入ると、第二次世界大戦による本土空襲は日増しに激しくなりました。同年7月23日、主力工場である桑名工場は、爆撃機の大編隊に襲われ、一夜にして原形をとどめない無残な姿に一変しました。桑名工場は最も重要な標的としてマークされ、爆撃前に精密な航空写真をとって襲撃計画が立てられたと言います。
当時、桑名工場は航空機用ベアリングの国内最大の工場であり、ベアリング生産拠点の中でも大きな爆撃を受けたことからもNTNがいかにトップメーカとして活躍していたかが伺えます。

写真: 被爆直後の桑名工場
被爆直後の桑名工場

創業以来の「品質第一主義」で設備と工場を拡充

戦後の混乱期に操業を再開

桑名工場、武庫川工場は1947年夏頃から操業を開始。創業当時の経営陣が退陣したことで、銀行から小野重一氏を2代目の社長として迎えました。
需要は、急速に整備が進んだ炭鉱向けの炭鉱車用ベアリング、工場復興に伴うベルト伝導装置用のアダプター付ベアリングが多く、農機具用の小形ベアリング、紡織機械向けのベアリングも一部生産されました。また、製鉄所や発電所の復興に伴い、大形スフェリカルローラベアリングの需要も比較的早く復活に向かいました。
政府もベアリング工業は日本の自立経済達成のために必要な基礎産業と位置づけ、1948年に桑名工場と武庫川工場を重要工場に指定。積極的に増産を促されることになりました。

折れ線グラフ: 生産個数の推移(1927~1957年)

設備の近代化を推進

1952年からは、本格的な設備近代化が計画され、技術者5名を欧米に派遣して先進国の実情を調査。重要機械のモデルマシンの輸入を図るとともに、国内工作機械メーカと協力し設備の国産化を推進しました。
特に注力したのは、品質保証の手段を整えることです。創業以来の「品質第一主義」に基づき、生産設備よりもまずは品質保証の基盤となる部門に多額の資金を集中投下しました。

写真: NTNが戦後導入の第1号となったスイス製の万能測長機
NTNが戦後導入の第1号となったスイス製の万能測長機

日本の機械工業界で初めてデミング賞*を受賞

NTN(当時、東洋ベアリング製造株式会社)は、機械工業界で真っ先に統計的品質管理を導入し、工場だけではなく全社的にも品質管理を推進していました。そのような中、1954年にベアリング業界はもとより、日本の機械工業界で初めてデミング賞を受賞しました。デミング賞とは、TQM(総合的品質管理)に関する世界最高ランクの賞です。
*戦後の日本に統計的品質管理を普及し日本製品の品質を世界高水準に押し上げる礎を築いた米国デミング博士の功績を記念して、日本科学技術連盟により創設

写真: 日本の機械工業界で初めて受賞した「デミング賞」
日本の機械工業界で初めて受賞した「デミング賞」
写真: 小野社長と懇談するデミング博士(1955年、武庫川工場)
小野社長と懇談するデミング博士(1955年、武庫川工場)

東洋ベアリング磐田製作所の建設

1956年頃からは好景気に乗って会社の業績は好調な展開を見せましたが、当時の小野社長が病に倒れ、1959年に瀧口征夫氏が社長に就任しました。
翌年には、日本で最初のベアリングオートメーション工場として東洋ベアリング磐田製作所が操業を開始。貿易自由化に備えた輸出の強化、国内需要のシェアアップのため、標準型ベアリングの少品種大量生産をスタートしたのです。

写真: 1960年に操業開始した東洋ベアリング磐田製作所
1960年に操業開始した東洋ベアリング磐田製作所

日本から海外へ、さらなる飛躍に向けて

本格的な量産体制の確立

1960年以降は、桑名工場、宝塚工場に新鋭の旋盤を一度に40台導入するなど、本格的な量産体制がスタートしました。1960年から1961年にかけて、桑名工場ではスフェリカルローラベアリング、特小ベアリング、超精密ベアリング、それぞれの専門工場を、宝塚工場では自動車向けに需要が急増したテーパローラベアリングの量産工場を新設。また桑名の鋼球工場を拡充し、ボールの完全自給体制が確立されました。

写真: 宝塚テーパローラベアリング専門工場
宝塚テーパローラベアリング専門工場

商品の研究開発を強化

生産を拡大すると同時に、商品の実用化研究についても強化を図りました。桑名の研究所を増設したほか、宝塚では自動車研究室を新設。さらに、1962年には、磐田製作所の隣接地に専用工作機研究所(現在の生産技術研究所)が建設され、独創的な専用工作機械や測定機類を積極的に開発したことで、磐田製作所をはじめ各工場の生産性の向上に大きな役割を果たすこととなりました。

写真: 専用工作機研究所(現在の生産技術研究所)
専用工作機研究所(現在の生産技術研究所)

技術提携による事業拡大

1962年には、ドイツのインダストリ・ヴェルク・シェフラー社との技術提携により、INA-NTNニードル工場が磐田製作所に隣接して建設されました。また、イギリスのハーディ・スパイサー社と技術販売提携を結び、将来的に自動車向け需要が急増する有望商品として、1963年から桑名工場でドライブシャフトの生産を開始しました。

図: INA-NTNケージ付ニードルローラベアリング
INA-NTNケージ付ニードルローラベアリング
図: ドライブシャフト
ドライブシャフト

海外へ進出、さらなる事業拡大へ

販売面では、1956年頃からベアリング輸出拡大の機運が高まっていました。NTNは、商社の協力のもと、着々と海外市場に進出していましたが、現地の需要に柔軟に対応するため、1961年にドイツのデュッセルドルフに販売会社 NTN Wälzlager(Europa)G.m.b.H.を設立。海外販売会社の第一号となりました。1963年には、アメリカ・ニューヨークに販売会社NTN BEARING CORP. OF AMERICAを設立したほか、翌年にはフランス、イギリスにも販売会社を設け、海外販売を拡大していきました。
また創業50周年に向けて新しい事業分野に進出するため、後に複合材料商品事業部 精密樹脂製作所、NTNアドバンストマテリアルズ(株)となる新会社も設立するなど、会社発展の基盤が築かれていったのです。

写真: 創業50周年のポスター
創業50周年のポスター

NTN社名の由来

NTNのロゴ

「NTN」とは、資本を投入した社長の丹羽昇のN、技術を担当した西園二郎のN、そしてこれら2つを、販売を担う巴商会のTで結び、商標としたものです。以来、NTN商品には、必ずこのマークが付けられるようになりました。

時代の流れととともに、法人の「エヌチーエヌ製作所」となり、やがて「日本」より一回り大きい「東洋」を見つめ「東洋ベアリング製造株式会社」へ、そして現在の「NTN株式会社」となりました。

1989年、「NTN株式会社」への社名変更を機に、NTNの意味づけを「For New Technology Network(新しい技術で世界を結ぶ)」のN・T・Nとし、歴史的意味付けとはちがった未来への指標としました。